天龍寺 庫裡
- 造営年:1899(明治32年)
天龍寺庫裡の歴史
天龍寺の庫裡は明治時代(1899年)に再建された比較的、新しい建造物となる。
庫裡の役割
栗を割ってほぅばる‥‥‥ではなく、庫裡!の役割とは、主に禅院では台所兼、寺務所に相当した機能を有する。
禅院では七堂伽藍の一つに数えられることもあるなど、方丈ならびに客殿へと続く。
庫裡の建築様式
天龍寺の庫裡を含めた禅院の庫裡というものは、概ね三角形の壁を正面に向け、曲線的な梁(はり)を用いたり、蟇股(かえるまた)を置いたりして、単調な造りにならないようにしている趣がある。
庫裡の内部
拝観受付がある
天龍寺の庫裡の奥には大方丈や小方丈が連なり、これらを移動できることから、入口玄関となる庫裡に拝観受付が設けられてい‥‥‥申す。あひゃ
竃(かまど)がある
庫裡の内部は正面に広い土間を配し、近くに竃(かまど)を設ける。
煙出し(煙突)
上記、竃の上には開けた状態の「煙出し(煙突)」を乗せる。
以上のような庫裡の佇まいは概ね他の禅刹でも統一して見られる傾向がある。
達磨図
庫裡に入ると入口右脇に拝観受付があり、その奥正面には大衝立の達磨図が置かれる。
これは天龍寺前管長の平田精耕老師の筆によるもので、方丈の床間などにも同じ達磨図が見られる。
中国禅宗の開祖とされる達磨が伝えた「達磨宗(禅宗)」の核となる禅を象徴した天龍寺の顔ともなる図絵。
天龍寺の縁起物やお守りなどにもこのような達磨図が描かれる。
韋駄天像
禅寺の庫裡の玄関(入口)には韋駄天(いだてん)像が祀られていることが多い。
玄関先に置かれる理由としては、夜叉が仏舎利を強奪して逃げ去った時、韋駄天が追いかけてこれを捕まえという故事がある。
以来、韋駄天は「走り神」や「盗難除けの神」として信仰され、日本の禅院では厨房や僧坊を守る護法神として、よく玄関(入口)に祀られる。
一説に一刹那(一瞬)の間に宇宙を三巡するほどの神速の足を持つと云ぅ。