【天龍寺👹曹源池庭園は枯山水❓】見どころ(借景or紅葉or積雪)や特徴と作った理由(作った人物)とは❓

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天龍寺 大方丈「曹源池庭園」【史跡名勝天然記念物】【世界文化遺産】

築庭年

不明
推定:1345年(康永4年/室町時代前期)

史跡名勝天然記念物指定年月日

1923年(大正12年)3月7日

庭園の敷地面積

約4,000㎡(池のみ約1,100㎡)※約1200坪

築庭様式

  • 池泉回遊式庭園
  • 借景式庭園
  • 禅宗式庭園
築庭者

夢窓疎石

「曹源池庭園」の読み方

”曹源池庭園”「そうげんちていえん」と読みます。

「曹源池」の名前の由来とは?

「天龍寺十境」に由来

天龍寺開山祖師(夢窓疎石国師)は天龍寺創建にあたり、この「曹源池」はじめ、大井川(おおいがわ/大堰川)を「絶唱谿(ぜっしょうけい)」、嵐山を「拈華嶺(ねんげれい)」など命名するなど、嵐山の十境を選出して「天龍寺十境」と命名した。(後述)

つまり、「曹源池」の名称とは天龍寺十境に由来したものであり、その天龍寺十境のそれぞれの名称とは、すべて禅の仏典が由来となる。

疎石国師は、かつて当地に在った前身ともなる亀山殿の寝殿造風の庭園を改修するにあたり、禅宗寺院らしい旧慣に囚われることなく、禅寺の教義による理想郷を再現しようとした。それこそが「曹源池」ではなかろぅか。

「曹源一滴」と書かれた石碑が現れたという説

曹源池庭園の名称の由来は以下のように諸説ある。

作庭していた夢窓国師が池の泥を堀りあげたところ、池の中から「曹源一滴」と書かれた石碑が現れたという説。

また、実はその石碑は池の泥などではなく、池を作る際に滝水の中から現れた!‥‥という説もある。ヘぇフぅ

「曹源一滴(そうげんのいってき)」とは、「一滴の水は、あらゆる物の根源である」という禅語であり、「曹源一滴水(そうげんのいってきすい)」とも言われる。

「曹源」というのは、禅の世界では「曹渓の源泉」を意味する。

「曹渓」とは? 

曹渓と書いて「そうけい」と読む。

これは中国において禅宗の流れを確立させたと伝わる「慧能禅師(えのうぜんじ/生638年~没713年、諡を大鑑禅師/だいえぜんじ)」のこと。

慧能は中国における禅宗の開祖と言われる達磨大師の教えを継承し、曹渓宝林寺(現在の広東省韶関市)に拠点を据えると、以後は生涯を途して布教活動に殉じたと伝わる。

星霜経て、鎌倉時代に日本へも禅思想が伝来すると禅宗が誕生し、やがて幕府が帰依を示すと鎌倉仏教として広まった。

この様相を禅で例えると、元を辿れば「曹源一滴水」‥‥つまり、曹渓の一滴の水を源として大きな流れになったと解される。

同様に「あらゆるモノの根源には一滴の水がある」という言葉があるように、「曹源一滴」とは禅の根本とされる重要な禅語とされる。

不思議な縁!天龍寺の初代管長も「滴水」という名前!

天龍寺の初代管長となった「滴水宜牧師(てきすい・ぎぼく/生1822年~没1899年。別名で「由理滴水師」とも)と称し、自身の号とした「滴水」も、修業時代に行った禅問答が由来になっていると伝わる。

滴水宜牧禅師は、曹源寺(岡山県岡山市/臨済宗妙心寺派)に参禅(修行)したが、ある時、師匠であった儀山禅師との間で「風呂に入り終えた後の、風呂の水をどうするか」という禅問答が行われた。

小僧も含め全員の風呂が終わった後に水を「捨てる」と答えた宜牧(小僧時代)に対し、儀山禅師は「木の根にかけぬとは!一滴の水も粗末にしてはならない」と一喝したとな。

これを教訓に宜牧は天龍寺管長に就任すると、後に自らの号に「滴水」を用い、以後、死すその時まで「水は仏の御命である。一滴の水も無駄にしてはならない」と唱え続けたと伝わる。

天龍寺・曹源池庭園を作った人は誰?

天龍寺は足利尊氏の宿敵でもあった後醍醐帝(後醍醐天皇)の菩提を弔うために創建された寺院とされるが、実際に建設現場の指揮を執ったのは天龍寺開山である「夢窓疎石(むそう そせき)」その人だと云われる。

すなわち、この曹源池庭園を作庭した人物も夢窓疎石になる。




天龍寺曹源池庭園は枯山水庭園ではなく「池泉回遊式庭園」!

結論から先に論じると、曹源池庭園は枯山水庭園ではなく、「池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)」と呼ばれる日本庭園の一種となる。

ただ、厳密に曹源池庭園は池泉回遊式庭園でもありながら、「借景式庭園(後述)」でもあり「禅宗式庭園(後述)」でもあるとされる。ヤヤこしっ

「池泉回遊式庭園」とは?

池泉回遊式庭園とは庭園の中心に大池を配し、その周囲に園路を巡らせ、園路を歩くということを前提にして作庭した庭園となる。

「日本庭園の集大成」とまで讃えられるこの庭園様式は、室町時代や江戸時代に盛んに営作された庭園であり、特に禅宗寺院や江戸大名が好んで自邸に用いた。(後に「大名庭園」という言葉も生じた。)

無論のこと、その禅宗寺院の中にこの天龍寺も含まれていたことになる。

池泉回遊式庭園の有名どころでは、この曹源池庭園の他、桂離宮、兼六園(金沢)、六義園など、日本各地に見られるなど、その多くが特別名勝や特別史跡の指定を受ける。

枯山水庭園とは?

枯山水庭園とは、平易に「水のない庭のこと」を云ぅ。

「枯」という字が付されている通り、水を用いずに「山」と「水(池・川)」を表現しなければならぬぅぁい。

もう少し噛み砕いて言うと、拾ってきた石コロころコロどこ行った?‥‥‥を用いて山や島、石橋を創造し、白砂などの砂を用いて水(池・川)とする。

例えば、水や大海を表現する場合は大石の周りに白砂を敷いて波紋を付けると、池や海だということが視覚的に分かる。

これらは水の少ない山岳地帯で修行することが多かった禅宗で生まれた類まれな発想であり、俗に「禅宗式庭園」と呼ばれるようになった。

天龍寺・曹源池庭園の見どころ

借景の庭園

曹源池庭園は単に名僧・夢窓疎石が作庭した庭園であるということだけで景色を楽しむのではなく、同氏が作庭した意図、つまり意匠というものを意識して庭園を見ていくと、庭園鑑賞の楽しみが広がる。

そこでまず、曹源池庭園を見るに際し、もっとも気に掛けたいのが「借景の庭園」であるという事実。

「借景(しゃっけい)」とは周辺の山々や渓谷を庭園の背景として取り込む作庭技法となる。

この曹源池庭園で例えると、大方丈から曹源池を眺めた場合、庭園の背景に天龍寺周辺の嵐山の山々が映り込み、それが曹源池庭園の白砂や池、石組みなどと違和感なく溶け込む。

また、奥行きを持たせて、山々の四季の移ろいを庭園に落とし込むように設計し、壮大な庭園を創造してい‥‥‥ます。フェイント

曹源池庭園の借景に利用された山

天龍寺の案内パンフレットには、以下のような山々が借景として用いたと解説してい‥‥‥申す。アヒャっ

  • 正面:亀山、小倉山
  • 左側:嵐山

大方丈と書院(小方丈)の中から観る「額縁庭園」❗️絶景が楽しめる❗️

遠景を視界の中に入れて観ることが、借景庭園を楽しむためのポイントとされるが、曹源池庭園を楽しむ上でもう1つ気に留めておきたいことがある。

それは、「曹源池庭園は建物の中から楽しめるように作られている」ということ。

曹源池庭園が観られる建物は、諸堂参拝で入ることのできる「大方丈」と「書院(小方丈)」の2箇所。

例えば、天龍寺方丈を例とした和風建築の特徴として、建物内に入ると柱や天井、軒や床、さらに広縁の欄干などが視界に入る‥‥のだが、これが借景庭園のいわばフレームの役割を果すとする。

だとすれば、まるで一幅の絵のように切り取られた景観が現れ、観る者により一層のワビサビを感じさせてくれる。

そして、このように建物の中から観る庭園は俗に「額縁庭園」と呼ばれる。

なお、方丈へ入場すためには諸堂(大方丈・書院・多宝殿)への入堂料金が必要。(曹源池庭園を観るためには庭園参拝以外の追加料金が必要💘)

まぁ、嵐山に来たかぎりはこの世界遺産・曹源池庭園は除外できない観光スポットとなるので、料金を支払う価値は充分にあろぅ。ふぉっ、ふぉっ

天龍寺・曹源池庭園の最大の見どころは「紅葉」!

曹源池庭園の最大の見どころは誰が何とっても「紅葉」!

天龍寺の紅葉の見頃時期は例年11月中旬を少し過ぎたあたり~12月上旬。

10月になると色づき始め、3色の紅葉が観られる。

枯れかかったような黄色の葉、青々とした俗に「青紅葉」と呼ばれる青葉、そしてチラホラと視界に入る目立つ真っ赤に熟した赤葉。以上の3色。




3色葉の紅葉も必見!

3色の紅葉の見頃時期は10月中旬頃となる。

嵐山の山々には紅葉が多く群生していることから、それらを借景とした曹源池庭園では、きっと至上かつ、至福の眺望が楽しめることだろぅ。

天龍寺の曹源池庭園の紅葉の種類
  • カエデ
  • イロハモミジ
  • ヤマモミジ

そのほか、ハナミズキ、サクラ、ツツジ、サルスベリなどの季節の花々も植栽される。

早朝参拝がオススメ!

紅葉シーズンの天龍寺では参拝客をもてなすために、通常8時30分からの開門時間を1時間早めて、朝7時30分より開門する。

このように開門と同時に参拝することは俗に「早朝参拝」と呼ばれる。

早朝参拝の大きなメリット

早朝参拝の大きなメリットは、人が少ないので開放的な気分で庭園を独り占めした気分で観覧ができるということにある。

人が少ないので混雑もしておらず、カメラワークも快適に進む。

早朝参拝期間は、例年おおむね11月上旬〜12月初旬までです。天龍寺の公式サイトを超チェックや!)

真冬!積雪の曹源池庭園も素敵💕

前日の夜、積雪があれば翌日、この曹源池庭園も全面、雪が積もっている可能性が高ぃ💕

庭園内に植栽される草木花、巌に至るまで積雪のある光景は、普段とはまた異なった風趣がある。

出島

この曹源池庭園のメインとなる池、曹源池には出島が3つ設けられてい申す。きゃ

この出島の周囲に見栄えの良い石や岩を配置して庭園に広がりをもたせ、尚且つ、奥行きという遠近感を与えてい‥‥ます。(耐)

このような作庭技法は鎌倉時代に流行した石組様式だと云われ、この庭園が悠久の歴史を歩んできたことを証明する部分ともなる。

龍門の滝(龍門瀑)

⬆️写真中央に滝があるのが分かるだろぅか?

大方丈から曹源池庭園を見て正面、曹源池の向こう岸には、最下部の滝を中心に見て左右に2つの大岩、その上に鯉魚石、そして最上部(頂)に遠山石などを配し、これらの滝石組を以って「龍門の滝」を創造してい‥‥ます。……。…..。(無言ver.)

龍門の滝は登竜門の故事が由来!

「龍門の滝」という言葉は、中国の「後漢書」の内容から発生した「登竜門」という故事がから発生したもの。

「登竜門」とは、黄河上流に竜門山という仙山(仙人が住む山)があって、この山を開削して発生した急流が「龍門瀑(龍門の滝)」とされる。

その龍門の滝(龍門瀑)を、「鯉が登り切ると龍になれる=立身出世や成功を収めるための関門」とした諺(ことわざ)こそが「登竜門」という言葉になる。

以上のよう故事を開山国師は禅の教義として曹源池庭園内に再現したことになる。

なお、滝の中程には、その龍門の滝を””するほどに跳ね昇る、””をイメージした「鯉魚石(りぎょせき)」が配置される。(後述)

遠山石

⬆️最上部の石に注目💘

「遠山石」と書いて「えんざんせき」と読む。

遠山石とは名前が示すように庭園奥に見えるもっとも頂にある石コロのこと。

庭園内では不老不死の仙人が暮らすという「桃源郷」もしくは「蓬莱山」をイメージして配置される他、奥行き感を出すための演出目的で用いられることが多い石コロとなる。

鯉魚石

「鯉魚石」と書いて「りぎょせき」と読む。

名前の通り、鯉の形をした石コロであり、通例は滝下に置かれるケースが多い石コロとなる。無論、この石コロは前述の中国の故事「登竜門」に由来したもの。

曹源池庭園の鯉魚石は、まさにぅぃ!その””が””するかの如くに滝を跳ね昇っていく瞬間を表現した大変、稀有な石コロころころドコいった‥‥‥になるらしっぅい!ひゅ〜💋

ただ、この石組みの向こう岸は方丈側からは離れすぎていて、非常に見づらいので望遠鏡のようなものを持っていくと良ぃ。

龍門の滝と鯉魚石は金閣寺庭園でも見られる!

龍門の滝と鯉魚石は天龍寺のみならず、日本各地の庭園に意匠として取り入れられ、有名所では近くの金閣寺(世界遺産)庭園に置かれていることでも知られる。

通例だと、鯉魚石は龍門の滝の真下に配置することで滝水を受ける役目をも果たす。

この様式は金閣寺の龍門の滝で見られるものだが、曹源池庭園の鯉魚石は滝下ではなく、滝横に配置されており、他に例がないとも云われる。

龍門の滝と鯉魚石は名僧・蘭渓道隆が作った⁉️

一説に、中国南宋から訪れた「蘭渓道隆(らんけいどうりゅう/鎌倉五山第一位の建長寺開山)」という禅僧が龍門瀑の故事に倣って配置したという説もある。

水落石

上記、「鯉魚石」を挟み込むようにして頂上下に1つ、滝石組の中段に1つ、水を落とす石である「水落石(みずおちいし)」が配置される。

3つの水落石が置かれているので3段の滝が出来上がる。これら3段の滝を以ってして龍門瀑(龍門の滝)としてい申す。りゅむぅっ(”龍門”を割り箸くわえながら表現)

‥‥‥以上のような鯉魚石や遠山石を配置して滝を創り出す様式は俗に「滝石組」と呼ばれる。

龍門の滝の左右の大石は水落石だった?

最下部の滝を中心に見て、左右に配された大岩には現在、水が流れてはいないが、夢窓疎石が作庭した当初は水が流れていたのではないかとされる痕跡があるらしい。

石橋

分かりづらいが曹源池庭園の正面、前述の滝石組の下部には板状の青石(青みがかった石)を3枚配置して石橋としている意匠がうかがえる。(写真では左の2枚がどうしても1枚に見える)

これら3枚の石橋は自然石で造立された橋としては日本最古の例とされる。ちなみに青石は「秩父産の青石」や「伊予産の青石」が有名所。

なお、この滝石組や石橋はじめ、そもそも当庭園はこの滝石組がある場所まで歩いて行ける設計にはなっておらず、これは作庭当初から当庭園は人が渡橋して庭内を回遊するような設計が成されていなかったとみる。

これは下記で述べるように当庭園が、寝殿造の庭園から→書院造の庭園へと、その転換期に作庭されたとする向きがあるからであり、だとすればこの曹源池庭園とは非常に重要な文化遺産ともなり得る。

曹源池庭園は舟を浮かべる庭園ではない

平安貴族の庭園などは舟を浮かべることが前提で作庭されることが多かったが、この庭園は池泉の面積が狭く舟を浮かべるような設計がされていない。

当庭園の前身となる亀山殿の庭園(後嵯峨上皇の離宮)は舟を浮かべるようになっていたかもしれないが、この庭園は、もっぱら観賞を主眼においた庭園であることが述べられる。うきゃ

寝殿造の庭園から書院造りの庭園への転換期に作庭された貴重な庭園

この曹源池庭園は平安貴族が好んで用いた寝殿造風の庭園(亀山殿の庭園が前身)から、書院造の庭園の転換期に作庭された貴重な庭園ともいえる。

これは前述したように明らかに観賞目的で作庭された庭園といえるからに他ならぬぁぃ。

天龍寺・曹源池庭園の特徴

曹源池庭園は「優美な王朝文化と 禅文化が巧みに融合した庭」

天龍寺の拝観受付でいただけるパンフレットには、このような記載が見える。

『優美な王朝文化と禅文化が巧みに融合した庭』

‥‥と。オホっ

ここでの「王朝文化」とは後醍醐帝を指すと同時に、やはり足利王権(初期の室町幕府)のことも指すのだろぅ。

天龍寺が創建された頃は足利将軍家の地位や発言力が天皇よりも勝るとみられていた時代。

特に足利義満は武家最大の栄誉である「征夷大将軍」でもありながら、公家最大の栄誉でもある「准三后」にも座し、後に日本の国王として中国・明と交易を行なった。

義満の御代に発生した数々の文化は、武家様・公家様・唐様(禅宗様)が融合した「北山文化」とも呼ばれるなど、まさにこの曹源池庭園は足利将軍家の権力が列島全体に染み渡った頃に生み出された庭園となる。

一方で、足利将軍家によって宋元画風(中国、北宋・南宋の画風)を例とした禅宗文化が日本へもたらされると、優美な王朝の日本画(大和絵)の伝統文化と結びつき、巧みに融合した独自の美学を生み出した。

これを曹源池庭園に例えると、池中に島を配し、前面に白砂を敷いて州浜形の汀(なぎさ)を表し、常緑樹の松を植え込んで緑を際立たせる。

まさに大和絵さながらの味を表現しながらも、異国の発想を取り入れて作庭された「優美な王朝文化と 禅文化が巧みに融合した庭」!‥‥‥ということが言えるのであ〜る!ウンちゃ …なんでアラレちゃん?




曹源池庭園は「禅宗式庭園」!

寺の庭園は大きく以下の2通りに分けて考えることができる。

  1. 浄土式庭園
  2. 禅宗式庭園
浄土式庭園とは?

「浄土式庭園」とは「浄土」の名前が示すとおり、極楽浄土をイメージして作庭された庭園のことを云ぅ。

禅宗式庭園とは?

「禅宗式庭園」とは精神性を基軸とした修行のために作庭された庭園のこと。

禅宗式の庭園とは元来、水(池泉)を用いない枯山水庭園が基本とされるが、曹源池庭園はどちらかというと浄土式庭園に近いものがあるが‥‥‥はてさて。

禅宗式庭園は有名どころでは、この天龍寺以外にも、西芳寺(さいほうじ/京都市西京区/臨済宗)という寺院が挙げられる。

西芳寺は何とっても当山を開創した夢窓疎石その人が創建した寺院となる。

曹源池庭園に植栽される樹木の種類は限定される❓

そもそもお寺の庭園とは、概ね何かの思想を取り入れて作庭されていることが多い。それはこの曹源池庭園にも言えること。

全国津々浦々、数多の寺院で観られる昨今の庭園は茶道の心得を取り入れて作庭されたとも云われ、それが現今に見られるような小綺麗な庭園のルーツだとする向きもある。

やがて茶道の作法の1つとして庭園が取り入れられると寺院でも庭園が作られるようになり、僧侶が精神修行のために作庭することが所作の1つとなっていった。

この曹源池庭園は禅刹にも関わらず、林泉が庭園のド真ん中にドッカリと配されるなど、枯山水とは到底、呼べないものがあり、むしろ極楽浄土に近しいものがある。

だとすれば、当庭園も僧侶(まぁ、夢窓疎石国師)の精神修行に拠る結果として、極楽浄土に近い世界観をもとにして創造(作庭)された庭園ともいえる。

しクぁしながら、庭園を構成する上で現在の曹源池庭園では植栽される樹木の種類は制限があるらしい。

曹源池庭園は精神修行の一環で極楽浄土をイメージして作庭された?!

臨済宗では日が暮れて月が昇ると「夜坐(やざ)」といって堂の縁側に出て、月明かりを浴びながら座禅をする修行がある。

前述のように庭園を作庭することが精神修行であるならば、その庭園を見て座禅を組んで瞑想するのも精神修行であり、この2つの要素は精神修行という面においては非常に重要なつながりをもつ。

曹源池庭園は3つの借景が取り入れられている!

曹源池庭園に訪れた際は是非!目の前に広がる池の向こう側の景色に注目💘

よく見れば3つの景色に分けることができて、これら3つの景色を用いて庭園全体に奥行きを持たせてい申す。アっ

  1. 前景(池)
  2. 中景(斜面になっている部分。木々が生い茂っている部分)
  3. 後景もしくは遠景(嵐山)

曹源池庭園は嵐山断層を巧みに用いた唯一無二の庭園!

なんとぉぅ!嵐山の地形は約2億年前の地殻変動(地面が長期間にわたり少しずつ移動する現象)によってに形成されたと云われる。

何が言いたいのかというと、この地殻変動によって保津川周辺の山々と天龍寺の周辺に断層ができたのだが‥‥‥、

しクぁし!

この断層は急斜面を生み、さらに砂利(じゃり)を多く含んだ、大変もろい土壌を形成したが、その反面、今日に見る嵐山の美景を生み出した。

詳しく述べると、急斜面とは普通の斜面に比べて急勾配なため、前面の木々のみならず、奥(頂)に繁茂する木々も見わたすことができる。

 

このような急斜面をしていると群生する木々の樹高などによる遮光が軽減され、抜群ぐんぐん成長期‥‥てなほどに著しく生長する。‥‥‥つまり、紅葉の色づき・発色がよくなるということ。

言わば、この急勾配の斜面が嵐山の紅葉が全国的に有名したといって過言ではないのである。

この嵐山の地形を最大限に活かし、それを庭園に取り込んだ夢窓疎石とは類い稀な想像力をもっていたことになる。

嵐山の山々を取り込む思想は禅の境地だった!

実のところ、この曹源池庭園に借景として取り込まれた周辺の山々は、土砂災害を防ぐ目的で人海戦術によって植林されたという説もある。

天龍寺周辺の山々は砂利が多い土壌ではあるものの、木々は地中深くまで根を下ろすことが可能であり、「山桜」や「イロハモミジ」が嵐山に多い理由というのも、こぅした嵐山の地形が適していたから他ならぬぅぁい。

‥‥‥以上、夢窓疎石国師はこのよぅな嵐山の地形や地域特性を無駄にすることなく、庭園に落とし込んだ意匠を以ってして、「無駄にしない」ことを根本理念とする禅の境地を見事に表現したことになる。




曹源池庭園は「天龍寺十境」の1つとして作庭された庭園!

夢窓疎石は理想郷として以下のような「天龍寺十境」を用いて天龍寺で表現しようとしたが、この曹源池庭園も、まさにその「天龍寺十境」の1つとして重要な役割を持っていた。

夢窓疎石が理想とした「天龍寺十境」とは?

「天龍寺十境」とは以下、10の光景のことを云ぅ。

天龍寺十境 概要など
普明閣 普明閣とは、現在の勅使門の奥側に建っていたと伝えられる楼門(三門)を指す。
絶唱谿
(ぜっしょうけい)
大堰川(おおいがわ)を指す。
大堰川は嵐山より「桂川(かつらがわ)」に名称が変わる。
現在も京都を流れる淀川水系河川。
霊庇廟
(れいひびょう)
京都市右京区にある「八幡社」。
八幡社は1344年(康永3年)に夢窓疎石(むそう そせき)によって創建されたが、後に後醍醐帝の御廟が建てられた。
境内の碑文には次のような陰刻がある。

『夢窓疎石の夢に八幡大菩薩が現れ、天龍寺を守ると託宣があったため、天龍寺の左側(南)に夢窓疎石によって八幡大菩薩が祀られた』

曹源池
(そうげんち)
大方丈の曹源池庭園の池泉。
拈華嶺
(ねんげれい)
嵐山の絶景のことを指す。
「拈華」の意味は、以心伝心をあらわす禅語。
渡月橋
(とげつきょう)
言わずと知れた桂川の橋、渡月橋。
承和年間(834年~848年)に初めて架橋されたと伝わる。
疎石国師が云ぅ渡月橋とは、現在の位置よりもう少し上流だったらしい。
三級巌
(さんきゅうがん)
嵐山の音無瀬の滝(戸無瀬の滝)の滝川に観られる三層の巨岩。
万松洞
(ばんしょうどう/門前の松)
天龍寺境内の松林。または、総門から渡月橋までの参道沿道の松並木とも。
龍門亭
(りゅうもんてい)
亀の尾山(京都)のふもとにあった嵐山を一望できた茶亭だったらしい。
2000年の開山夢窓国師650年遠諱記念事業の一環として、曹源池(天龍寺境内)の南側に龍門亭が復興(再建)された。
亀頂塔
(きちょうとう)
かつて、亀山の山頂にあった九重塔。
当地から京都市内まで見渡すことのできたらしいが、場所は現在の嵐山公園内に比定。

‥‥以上の中で現在6カ所が現存していると云われる。

「天龍寺十境」は天龍寺境外にも及ぶ理由とは?

現在の天龍寺境内の面積は、およそ30,000坪(東京ドームの約2.1倍)とされるが、1877年(明治10年)の廃藩置県の際に上知令が出されるまでの天龍寺の寺域(境内地)は嵐山、亀山、嵯峨の全エリアにまたがるなど、現在のおそよ10倍以上を誇った。

つまり、30万坪(東京ドーム約20個)もの寺域を領有していたことになるワケだが、夢窓疎石が開創した当初の天龍寺の寺域は、その30倍近ぃ、およそ950万平方メートルを誇り、1410年(応永十七年)の記録によると、その寺域は現在の嵐電「帷子ノ辻駅」あたりにまで及び、境内には150ヶ余寺の子院が甍(いらか)を連ねたと云ぅ。

まさにこのよぅな広大な寺領を境内としていたことから、上記、「天龍寺十境」なる思想が広範囲に渡って生じても何ら不思議ではなぅぃ。

しクぁし!

寺域が広いとはいえ、夢窓疎石は自らの禅思想を表現するための核としたのが、何を隠そぅ、この曹源池庭園だったことも忘れてはならぬぅぁぃ!




曹源池庭園の見方・観覧方法

縁側に座って観覧する!

天龍寺は約670年前に創建したこともあり、現今に至るまで幾度とない伽藍の焼亡や、騒動での破壊などを経て現在の伽藍があるワケだが、そのほとんどは明治時代の再建後の姿となる。

しクぁし!

この曹源池庭園には有形物で無かったのが幸いしたのか、ほとんど創建当初のままの景観を保っていると云われる。

すなわち、禅を極めた夢窓疎石その人が作庭した庭園となることから、禅の基本姿勢となる座禅を組んだままの姿勢で観ることを前提として作庭された庭園とされる。

遠景の1つ1つにもコダわって庭園全体を観る!

借景庭園を見るときの心得としては、近景のみならず、遠景の1つ1つにも細かく目線を向けて庭園の全体像を捉えることが肝要。

人間は見つめた景色がすべて視界に収まると”美しい”と感じる性質を持っているが、これを角度で表すと30度となり、これは黄金比で表わすことができる値となる。

前述のように嵐山の山々は急勾配になっていることから、全体を俯瞰することができるので、つまりは黄金比で表すことができることになる。=(イコール)美しい。

これが嵐山の美紅葉を見るために、列島の端からでも観光客がワンサカ♪と押し寄せる理由の1つにもなるのだろぅ。

曹源池庭園の入園料(拝観料)

天龍寺では境内に入るための入場料or、入山料といったものは必要ないも、曹源池庭園を観覧するためには所定の入場料金が必要になる。

庭園参拝料(曹源池庭園・百花苑)

  • 高校生以上:500円
  • 小・中学生:300円
  • 未就学児:無料
  • 【割引】
    障がい者手帳の所持者は本人および介護者1名まで100円引き。受付時に呈示が必須💘

※諸堂参拝料、法堂にて特別公開の雲龍図参拝料はそれぞれ別途。

※諸堂参拝を行わなくても、庭園だけ参拝することができます。

入園料などは変更になっている場合があるので、最新情報は公式ホームページなどで要チェックや!by.彦一

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