天龍寺 大方丈「釈迦如来坐像」【重要文化財】
造立年
平安時代後期(年代不明)
素材
檜材
造立方法
割矧ぎ造り
寄木造
像高
88.5㎝
重要文化財指定年月日
2010年(平成22年)1月22日
安置場所
大方丈(天龍寺本堂)
釈迦如来の読み方
釈迦如来は「しゃかにょらい」と読みます。お釈迦様を敬称です。釈迦如来像とは、お釈迦様を「像」として表現したものです。
天龍寺大方丈のご本尊は釈迦如来坐像です。
なお、大方丈は天龍寺の本堂にあたることから、天龍寺自体の御本尊もこの釈迦如来座像ということになります。
天龍寺・釈迦如来像の特徴
台座・光背がない
本像の像容をパッとみて疑問に思った方はなかなか仏像通な方だと思われますが、本像には台座・光背はありません。しかし、過去には存在したと考えられており、時代を経る過程で消失したとされています。
彫眼
およそ平安時代後期まで仏像の目玉の部分は「彫眼(ちょうがん)」といって彫刻で造形されていました。しかし鎌倉時代に差し掛かると「玉眼(ぎょくがん)」と呼ばれる水晶がハメ込む手法が主流になっていきます。
彫眼、玉眼は仏像の時代判定のもっとも顕著な材料となります。
天龍寺・釈迦如来像の造立方法
割矧造り
割矧造りとは、おおむね頭部と体幹部を一材で彫出し、耳の後ろから前後に割矧ぎ(わりはぎ)にして内刳りを施すことです。
内刳りを施すことでひび割れを防ぐことができます。
本像もまさにその典型で、頭部と体幹部を一材で切り出して造像され、膝前は別材で接ぎあてられています。
螺髪は彫出、仕上げに漆箔が施されています。(現状剥落)
寄木造り
寄木造りは、別木を用いて接ぎ合わしていく造立方法です。平安時代から木造の仏像が造立されはじめており、平安時代の仏像は木造一色といっても良いほど、木造で造立される仏像がほとんどでした。以降、鎌倉時代になると寄木造が主流となっていきます。
天龍寺・釈迦如来像の歴史
歴史上、天龍寺の伽藍は、「応仁の乱」「禁門の変(蛤御門の変)」等、都合8度の火災で焼失しています。したがって天龍寺に存在していた数多くの建物、仏像といった文化財のうち、古いものはほとんどが失われてしまいました。
ところが、大方丈に現在安置されている、釈迦如来坐像は、そうではありません。
この釈迦如来坐像は、平安時代後期の作と言われています。平安時代とは、794年~1185年頃のことを指します。平安時代後期といえば、歴史学上は1000年~1185年頃です。
しかし、当サイト「天龍寺のご本尊はどんな仏様?天龍寺の歴史について・由来など」でも言及していますが、足利尊氏が天龍寺を創設したのが1339年(暦応2年)。
つまり、天龍寺そのものよりも、天龍寺に現在祀られている釈迦如来坐像のほうが、200~300年余り古いことがわかっているのです!
そして、天龍寺が受けた8度の火災にも焼けることがなく、今の今まで受け継がれているということになります。
この釈迦如来坐像に関しては、作られた年代はまだ特定されていませんが、仏像自体の古さや、災禍を目の当たりにして焼け残った文化的価値などから、重要文化財に指定されたものです。
仏間となっている大方丈の中央の部屋、紫地の金襴布の向こうに安置されているので、注目してみましょう。
釈迦如来像の安置場所
釈迦如来像は天龍寺の本堂となる「大方丈」に安置されています。
なお、本像は間近で見れますが、上記の写真で見れば分かるとおり、木柵が前方に立てられており、一般参拝者はそれ以上前に行くことができません。
手前約4mぐらいの位置で拝することになります。
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