【野宮神社の境内見どころと歴史】御利益は縁結びと‥子宝❓源氏物語との関係を….今、 知りたぃと祈ったね❓

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「野宮」ってなに?南北朝時代に廃れた斎宮制度と野宮神社の関わり

「斎宮」

野宮とは、伊勢神宮に仕える皇族女子(皇女や女王の中からその時、その時で選ばれた存在)が、伊勢へ下る前に1年ほど籠もり、身を清めた場所のことを指しています。

この、伊勢神宮に仕える皇族女子のことを、「斎王」(伊勢神宮の斎王は、「斎宮」)と呼びます。

斎王は天武天皇の時代から、伊勢神宮の祭事をつかさどる最高位の巫女として制度上続いていましたが、鎌倉時代に衰退が始まり、建武の新政が崩壊(1336年)するにあたり、完全に断絶しました。

野宮は、斎王が身を清める場所として、天皇が即位する度に変えられていました。

野宮神社の場所が野宮として使われた最初は、嵯峨天皇の第10皇女であった仁子内親王(じんしないしんのう。生年不詳~没889年)が斎王になった時です。

仁子内親王が斎王に卜定(占いで決められること)されたのは、809年のことでした。811年に伊勢に下り、823年に嵯峨天皇が譲位するまで、斎宮を務めました。

したがって、野宮神社の創建年は800年頃とされているのですが、それ以上の詳しいことは分かってはいません。

いずれにしても、斎宮の御所としてのつとめを終えた後は、神社として存続してきた野宮神社は、引き続き皇室から信仰を受け続けました。衰退した時期もあった一方で、そのたびに皇族からの援助と崇敬で保護されてきたと伝えられています。

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野宮神社と源氏物語とのつながり~なぜに源氏物語の宮なのか?~

野宮の地は『源氏物語 賢木の巻(さかきのまき)』に記され、さらに世阿弥が能楽の「野宮」を残したことによって、後世まで名を馳せる有名な地となりました。

『源氏物語 賢木の巻』は、『源氏物語』全54帖のうち、第10帖にあたります。

光源氏の恋愛事情が複雑なことは誰もが知るところですが、「賢木の巻」で光源氏のお相手をつとめるのは六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)という女性です。

源氏物語ネタバレ!「六条御息所=光源氏」にベタ惚れの年上女性(30)

六条御息所は、源氏物語を知る上で避けては通れない女の一人です。

光源氏よりも10歳ほど年上(巻によって17歳とするものもあり作中に矛盾が生じている)で、光源氏がごく若いうちの恋人でした。

そもそも六条御息所は、「16歳で東宮(桐壺帝の息子。皇太子だったが即位前に亡くなった。

光源氏の父も桐壺帝であることから兄弟と推測される)に嫁ぎ、20歳で東宮に死なれてしまい未亡人となり、今30歳!」と「賢木の巻」に書かれていて、後家さんであることがわかります。

六条御息所と、この東宮の間には、娘もいます。それが後に斎宮になる秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)です。

六条御息所は、たいへん美しく、しっかりとした女性だったのですが、それがアダになって光源氏の寵愛を失っていきます。しっかりした女って損よね~……

「葵巻」では光源氏の子どもを身籠もった葵の上(夕霧の母)を、生き霊(生きている人間が恨みのあまり、幽体離脱して相手を祟ってしまう霊)となって祟る役で登場! 葵の上は夕霧を出産しますが、産後のもろもろで急死してしまいます。

そもそも知性に長けた六条御息所は、自分の意志で生き霊になったわけではなかったので、自分が光源氏を愛する余り無意識に生き霊となって人を襲ったことを知ります。

そこで、光源氏と絶縁するために、野宮に入ります。その様子が描かれているのが「賢木の巻」です。「賢木の巻」では、光源氏は23歳~25歳。

六条御息所は、現代で言うところのアラサーです。

彼女が野宮に入ることができたのは娘の秋好中宮が斎宮に選定されたためで、六条御息所は娘の付き添いとして野宮に入り、伊勢へ下る決断をするのです。

そんな六条御息所に今まで彼女を敬遠していた光源氏もとうとう会いに行き、晩秋の野宮で別れを惜しむという流れでした。

謡曲の「野宮」では六条御息所の霊が供養を求め、この光源氏と会った9月7日の夜を懐かしみ、

花に馴れ来しののみやの 花に馴れ来しののみやの
あきよりのちはいかならん

※あきよりのち=秋の後、と、飽きた後、の掛詞

‥‥‥などと歌うのです。

光源氏が寵愛してくれていた華々しい頃はよかったわ。飽きられちゃった後はロクな事が無い! という嘆きの歌。

しかも謡曲の「野宮」の結末は、こうして嘆く六条御息所が成仏したのかどうかが描かれず、登場人物の僧が「成仏できたんかなぁ……」と心配する様子で幕を閉じます。どっちじゃい。

野宮神社の見どころ「竹林もたっぷりと!」

創建年は800年頃(平安時代)の古社&竹林

野宮神社は、平安時代そのままの光景を見られる場所として有名です。

野宮神社は、嵯峨野で有名な竹林の小径の入り口にも近く、竹林の小径を通る途中で野宮神社の鳥居がある形なので、訪れればそのまま、平安時代にタイムスリップしたかのよう。

といっても繁忙期は観光客が多く、桜や紅葉、嵐山花灯路の時期などは片道一方通行になるほどなので、なかなか平安ロマンスは味わえないかもしれません。

人少なな平安っぽさを味わいたいなら、わざと繁忙期を外して訪れるのがおすすめです。

竹林の小径については→「京都嵐山「竹林の小径(竹林の道)」とは?どこからどこまで?読み方・所要時間・アクセス・渡月橋への行き方




良縁結婚をご利益とする野宮大黒天!

境内、ご本殿の左側に、野宮大黒天がお祀りされています。

良縁結婚をご利益とする大黒天ですので、お参りを欠かさず行いたいところ!

願いを叶えてくれる「お亀石(神石)」

そのそばにある「お亀石」も欠かせない見どころです。

なんと! 願い事をこめて撫でると、1年以内にその願いが叶うと言われています。

これは撫でるっきゃない!!

「白福いなり」は子宝or安産祈願のスポットとしても有名❤️

秋篠宮ご夫妻も子宝祈願をされた!

最近では、秋篠宮ご夫妻が子宝祈願をしたということで、野宮神社も子宝の御利益スポットとして有名になりました。

 

確かに、このままでは男子の後継が不安視される皇族において、秋篠宮ご夫妻はきっちり男児を授かっていますね。

保証はなけれど期待大!

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