京都嵐山「渡月橋の歴史!」誰が作った?建築構造・様式など
京都の渡月橋といえば、嵐山を代表する見どころの1つですが、その由来や「誰が作ったのか?」はあまり広く知られていません。
今回は、天龍寺にも近い渡月橋の歴史や構造について解説します。
渡月橋の歴史「いつできた? 誰が作った?」
平安時代からある!作ったのは……
そもそも、渡月橋が最初に桂川にかけられたのは、平安時代のことです。
橋がかけられた詳しい年代はわかっていませんが、作成を提唱したのは道昌(どうしょう。生798年~没875年)という真言宗の僧であることがわかっています。
道昌は、空海の弟子で、嵐山の中腹にあった葛井寺(かどのいでら)という寺院を中興し、名前を「法輪寺」に改めました。868年(貞観10年)のことです。
そして晩年に橋の工事や、桂川の堤防設置に尽力しました。
桂川の橋は、最初は「渡月橋」ではなく「法輪寺橋」という名前でした。868年に名前を改めた法輪寺の名前をとったのですね。
したがって、渡月橋が法輪寺橋として最初に架けられたのは、法輪寺が整備された868年(貞観10年)~道昌が亡くなる875年(貞観17年)の間であると推定されますが、一方、法輪寺橋がかけられたのはそれより以前の承和年間(834年~848年)、もしくは法輪寺が整備される前の貞観年中(859年~867年)であるとする説もあります。
法輪寺橋から渡月橋への改称はあの上皇のせい!
そもそもは法輪寺橋として架けられた橋が、「渡月橋」と改称したのは、とある上皇の影響であったと言われています。
その上皇とは、第90代、亀山天皇(生1249年~没1305年。在位1260年~1274年、退位後は亀山上皇)です。
亀山上皇は、法輪寺橋のあたりで船遊びをし、満月を愛でました。そのおり、法輪寺橋の様子について
「くまなき月の渡るに似る」
と評したそうです。これは、天にかかる満月が橋を渡っているみたいだね、という意味!
ここから、法輪寺橋は「渡月橋」と呼ばれるようになり、今に至るというわけです。
渡月橋は200m下流に移動している
渡月橋が法輪寺橋として最初に架けられた位置は、現在の位置よりも200mほど上流であったと伝えられています。
渡月橋は、桂川(または大堰川)の洪水によって何度も流されてしまい、幾度も架け直されているものです。
移動の理由は明らかではありませんが、川の流れの位置や向きを加味し、より流されにくい場所へと移転が行われたものと推測されます。あるいは、後に触れますが、橋の位置を変更した豪商の都合で、貿易(荷の積みおろし)をしやすい場所になったのかもしれません。
渡月橋のかかる川は大堰川なのか?桂川なのか?保津川なのか?川の名前も変わった!
よく、嵐山の観光情報で耳にする「保津川下り」。
そして、京都を流れる川の代表格とも言える、「桂川」。
実を言うと、保津川も桂川も、同じ1本の川です。この川を総合して「大堰川(おおいがわ)」と呼んでいます。
保津川と桂川の境目に当たるのが、渡月橋です。
渡月橋よりも上流は、保津川。
渡月橋を挟んで下流を、桂川と称しています。
大堰川は言わば川としての総称ですが、5世紀初めまでは、大堰川ではなく「葛野川(かどのがわ)」と呼ばれていました。
ここに、5世紀の後半(西暦で言う450~500年)頃、当時京都で権力のあった豪族「秦(はた)氏」が大きな堰を設置し、治水工事を行いました。これが切っ掛けで、葛野川は大堰川と呼ばれるようになったと言われています。
さきほど触れた、法輪寺橋を最初に架けた道昌は、秦氏の血をひいているので、代々にわたり大堰川の管理を行った奇妙なご縁と言えるかもしれません。
現在の位置に橋を作ったのは角倉了以
法輪寺橋は渡月橋と名前を変えましたが、しばらくは現在の位置より200m上流に作られていました。
これを200m下流に移動し、現在の渡月橋の原型を作ったのが、江戸時代の豪商であった角倉了以(すみのくら りょうい。生1554年~没1614年)であったと伝えられています。
角倉了以は豪商で、朱印船貿易を行っていました。貿易相手は現在のベトナム周辺、「安南国」です。
安南との貿易をスムーズに行うため、角倉了以は大堰川や、同じく京都に流れる高瀬川を自腹で開発したと言われ、現在では京都で「水運の父」としても知られています。
渡月橋の移転も、こうした開削事業の一環でした。
現在の橋脚は1934年製
渡月橋の架け替えは江戸時代以降も行われましたが、現在の渡月橋は1934年(昭和9年)に作られた頑丈なものです。
橋脚は鉄筋コンクリート製で、欄干は国産ヒノキで作られています。
本来であれば、景観上は木造の橋がベストなのかもしれませんが、それでは安全性がきちんと確保できません。
橋脚部分と欄干を別の素材にしたことで、観光地としての景観と、建造物としての安全性を両方確保した形です。
歩道が設置されたのは1975年
渡月橋に歩道が設置され、現在のように歩けるようになったのは1975年(昭和50年)のことです。
渡月橋の建築様式と構造
渡月橋のサイズは?長さと幅について
渡月橋のサイズは以下のようになっています。
- 全長:155m
- 幅:11m/車道2車線+歩道
渡月橋は「桁橋」
橋の構造によって分類した時、渡月橋のようにまっすぐな橋は「桁橋」という種類に分類されます。
桁橋は、ガーダーブリッジ、ガーダー橋とも言われることがあります。
桁橋の最大の特徴は、橋そのものにアーチ構造等が使われておらず、水平を保っているというところです。
桁橋は橋脚と橋脚との間に、まっすぐな橋をかける形式です。渡月橋では合計14の橋脚を見て取ることができます。
この橋脚は、渡月橋の場合10メートル間隔で設置されており、4本1組の鉄筋コンクリート製。さらに鉄筋コンクリートの周辺に鉄が巻かれて補強されています。
橋脚と橋脚との間には、H形の鋼材でできた橋桁が置かれ、その上に木製の桁隠しが使われているため、渡月橋は一見して木製の橋のように見えるのです。
また、2005年(平成17年)には橋脚の上流側にコンクリート製の杭を打ち込み、流木止めにして、橋脚の損傷を防いでいます。