天龍寺「大方丈」

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天龍寺「大方丈」

読み方

てんりゅうじ だいほうじょう

建築年

1899年(明治32年)

建築様式(造り)

建物:入母屋造

屋根:浅瓦葺

広さ:方丈形式、六間取り(表三室、裏三室)/左右各24畳敷/室中48畳敷

その他の特徴:周囲に広縁(ひろえん)、さらに落縁(おちえん)を巡らせ、回廊から庭園を眺められる仕様

※六間取り(むまどり)とは、左右に3室、前後に2室、合計6室を確保する寺院建築の間取り方式のことを言います。六間取りは禅宗の方丈に代表される間取りですので、この形式を「方丈形式」とも呼びます。「室中(しっちゅう、しつちゅう)」はこの中の、仏間となる中央の1室のこと。

御本尊

釈迦如来坐像 ※重要文化財

その他所蔵品

  • 「方丈」扁額(詳細後述)
  • 雲龍絵の襖(詳細後述)
  • 聖観世音菩薩立像(平安時代・木像。像高111.2cm)
参拝料

庭園+諸堂参拝料が必要です。

  • 庭園参拝:高校生以上500円/小中学生300円/未就学児無料
  • 諸堂参拝:小学生以上300円/未就学児無料

こちらのページでご紹介する料金・割引制度などは変更になっている場合がありますので、最新情報は公式ホームページなどでご確認ください。




天龍寺大方丈の特徴は?

天龍寺の大方丈は、天龍寺の中でも最大の建物であり、位置づけ的には天龍寺の本堂にあたります。大方丈は建築物としてももちろん有名ですが、大方丈の中から、曹源池庭園(夢窓国師が作成したと伝えられる、日本初の史跡・特別名勝)を眺めることができ、その景色が一幅の絵のようにわびさびを感じさせることでも知られています。

大方丈の広縁から、反対側の庭園を見た光景がこちらでおます。

なんともトレ・ビアン

大方丈の周囲にはぐるりと広縁が巡らされており、諸堂参拝の拝観料を支払えば中に入れていただくことができます。

ぜひ中の静謐な空気とともに、大方丈の中からの曹源池庭園を楽しんでください。

曹源池庭園側は天龍寺大方丈の裏側!

ちなみに、有名な「大方丈から見た、曹源池庭園の光景」ですが、天龍寺大方丈の真正面は、実は曹源池庭園側ではありません。

曹源池庭園は、大方丈の裏手!

大方丈の正面は、天龍寺の中門に面した、東側です。

天龍寺を訪れた際には、中門側から大方丈を眺め、あらためて「こちがら正面だ」と感じてください!

天龍寺大方丈にある「方丈」の扁額は誰が書いたもの?

天龍寺の大方丈の入口には、「方丈」と書かれた扁額が掲げられています。

SNSにも様々な写真が投稿されており、いかにもいわくありげな「方丈」の扁額です。

この扁額は、天龍寺第8代管長の「関牧翁老師」(生1903年~没1991年)によって書かれたものです。

(なお、天龍寺の管長は2018年現在、第10代佐々木容道氏となっています)

関牧翁氏は、1946年(昭和21年)から、亡くなる1991年(平成3年)まで天龍寺の管長を勤め上げられた方ですから、実質的には、昭和の動乱・激動期のほとんどを、天龍寺のトップとしてまとめ上げられたことになります。

天龍寺の歴史にとって特に偉大な方であったことは間違いありません。

天龍寺大方丈のご本尊「釈迦如来坐像」とは?なぜ重要文化財?

天龍寺大方丈のご本尊は、釈迦如来坐像です。

この釈迦如来坐像に関しては、作られた年代はまだ特定されていませんが、仏像自体の古さや、災禍を目の当たりにして焼け残った文化的価値などから、重要文化財に指定されたものです。

仏間となっている大方丈の中央の部屋、紫地の金襴布の向こうに安置されているので、注目してみましょう。

天龍寺大方丈「釈迦如来座像」に関しての詳細は以下のページを御覧ください。

天龍寺 釈迦如来坐像 概要

  • 重要文化財
  • 作成:平安時代後期(年代不明)
  • 素材:檜材、寄木造。頭部と体幹部が一材彫出、耳の後ろから前後に割矧ぎ(わりはぎ)されている。膝前は別材。螺髪は彫出。彫眼、漆箔仕上げ(現状剥落)
  • 像高:88.5cm
  • 台座・光背:なし。過去にはあったものと思われる
  • 安置場所:大方丈




天龍寺大方丈の雲龍絵の襖はいつ、誰が描いたの?由来は?

 

天龍寺と言えば、法堂(はっとう)天井の雲龍図※が有名ですが、大方丈にも雲龍図があります。それがこの、大広間の襖の雲龍図です。大方丈は、この大襖で東西が仕切られている構造になっています。

※法堂の雲龍図に関しては「天龍寺「法堂」「雲龍図」」をご覧下さい!

大方丈の雲龍図の襖は、1957年(昭和32年)に若狭物外(通称・物外道人。生1887年~没1957年。本名は若狭成業わかさ・せいぎょう)によって描かれたものです。

若狭物外は、さきほど触れた、大方丈の「方丈」扁額を書いた、天龍寺第8代管長・関牧翁老師のご友人でした。東京芸術大学を卒業した後、山元春拳について絵を学びましたが、その後山元春拳とは師弟関係を断ち、山田介堂を師としたようです。

山田介堂は富岡鉄斎の弟子だったため、若狭物外は「富岡鉄斎唯一の孫弟子」であると言われています。

若狭物外は、大方丈の雲龍絵を描き上げた4カ月後に亡くなっています。法名は「画龍院如意物外居士」と付けられました。

この雲龍図は「雲龍絵」と名付けられ、庭園からものぞき見ることができますが、目の前で見る場合はやはり諸堂参拝がおすすめです。

雲龍図の襖がもう1つあります?こちらの絵は誰が?

天龍寺の雲龍図の襖といえば、この雲龍図も有名です。

こちらは、曾我蕭白(そが・しょうはく。生1730年~没1781年)によって描かれた、江戸時代の襖絵のレプリカです。曾我蕭白34歳のとき(1763年・宝暦13年)の作品であると伝えられています。

本物は日本美術の収集家のアメリカ人仏教研究者ウィリアム・スタージス・ビゲロー氏(生1850~没1926年。1890年よりボストン美術館理事を務める)が収集し、1911年に彼の収集品の1つとしてボストン美術館に寄贈されました。

襖絵ではありましたが素性がわからず、襖からは剥がされた状態でボストンへ運ばれました。修復を行い、日本では2012年に名古屋ボストン美術館で初公開されています。

「おそらく寺院の襖」とのことですが、詳細はわかっていないのが本当のところです。修復作業によって襖の形に仕立て直されたもののレプリカを、キャノン社が「綴プロジェクト」の一環として作成しました。

「綴プロジェクト」は、海外に渡った日本の文化財を高精度印刷で再現し、日本にも伝えていこうという取り組みで、2007年から行われています。天龍寺の雲龍図レプリカが作成・天龍寺に寄贈されたのは第8期、2015年のことです。

8面のパネル作品として、現存する部分がほぼ完全に再現されましたが、本当なら頭と尾の間にもう4面、現代に伝わっていない胴体部分があったものと考えられています。

レプリカは天龍寺大方丈の見どころの1つとなっていますが、特別参拝期間のみの公開ですので、ご覧になりたい方は時期をあわせて訪れてみてくださいね。

曾我蕭白筆 雲龍図(レプリカ)公開概要【2018年】

  • サイズ:タテ165cm×ヨコ1,000cm(10m)
    各面サイズ:165.6cm×135.0cm
  • 春の特別参拝
    期間:2018年3月17日~5月20日
    時間:8:30~17:15(但し、3月20日までは16:45終了)
  • 秋の特別参拝
    期間:2018年8月4日~10月21日
    時間:8:30~17:15(但し、10月21日は16:45終了)

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